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截金の話ではありません。私の使う木の話です。
長いです。私の作品にご興味がある方だけ読んで頂けたらと思います。

大作に専念したい。大きな板に描きたいと漠然と思ってたのですが、
よ~考えましたらその板を用意せなあきません。あまり深く考えて
おりませんでした。というのは簡単に見つかると思っていたからです。
大きな板は銘木店の情報を得ておりましたのでお求めすれば良いと
安易に考えておりました。ちょっとお値段するだろうな、ま~取りあえず
一枚くらいお求めしてから後は徐々に行きましょう、くらいのもんでした。
いざ見に行ってみるとこれが偉く難しい。なかなかピンときません。
また値段もしますので簡単にも決断できません。私は手に入れた木は
最初たわしと水で洗い、その後サンダーをかけます。また色もかけます。
沢山並べられた銘木たちからその後私が加工した表情、
全く浮かびません。
また「割れませんか?」との質問には、「う~ん、例え200年ものでも割れないとは言えない」との
ご解答に、えーーーーー!!!!!
元々割れのある作品は好みで数えきれないほど作品にして参りましたが、
私の手から手放した後に新しい割れが出てくるというのは私がその恐れがあるとシッカリとご説明した後にお求めされ、
メンテナンス可能と納得の上でのお求めは問題ないかもしれませんが
(割れて来て、その割れにまた截金を施すのも面白いと思いますから。)
全ての作品がそうではちょいとね~・・・・。
取りあえず数枚を手に入れました。
やってみましたが、うーん。

結局私やはり古木が好きかもというところに辿り着きました。そして古く年月を
経たものに偉く表現として助けられていたことにも気づきました。
銘木店には私を截金の道に導いた大学の恩師も一緒に来て頂き、ど偉い値段のものを
これはなかなか手に入らない、やってみろ、買うべきだ、今すぐしなくても良い、
作業机に使い、いつの日か作品にするために手に入れておくべきだと偉く勧められ、
わたしゃ、いいいいいいちおう母であり妻であるので
こんな高いもん買う妻、母はどーでっか?しかも板でっせ。木でっせ。
と内心オロオロ。
しかし世に名前を残した著名人たちはやはりそういうもの凄いものを
買ってしまい、そのお金を返すために窮地に迫られ偉大な作品を
残したのもよう分かる。
いや~しかしですよ、
あたしゃえーのか買ってえーのか・・。
結局その銘木を購入する話は自然になくなりました。
チーン。

私の木の旅は截金をし始めた時から始まりました。
最初は大学に行く道中。車で通っており、京都から滋賀に抜ける途中越えの道で、
工事現場に使われたような板が道端に何年も放置のような板。そういう板は
結構簡単に拾い集めておりました。次に近辺の山に登ってみる。が、
山はちゃうと二山ほど登って直ぐに思いました。木に虫がついていそうで
使いものになりません。また表情もよくない。それで京都の海に行きましたが、
流木がちっとも綺麗でない。その後アメリカに一年留学することになり、
アメリカの流木は乾いていてとても質が良いので沢山拾い集めておりました。
それからはスーツケースを空にしてアメリカに幾度も流木を集めに行っておりましたが、
911のテロ以降大変厳しくなり、そういったものは日本に持って帰れないことに
なりました。そこからは沖縄に行きます。え~流木に巡り会いました。
なかなか簡単ではなく探し廻らなくてはいけないのですが、ヤシの実の中がくりぬけた
固い皮のようなものなどは人気で直ぐにお嫁に行くのでちっとも足りないほどでした。
ニュージーランドから沢山小さな流木をわざわざ送ってくれた方もいました。
それはそれは上質な流木。しかし結婚や妊娠、出産などで遠くに簡単に行けなくなって
参りました。

最終的に最近は截金の腕が上がったようで、そういった拾い集めたり、昔使われていたものに
截金を施すことに”勿体ない”と言われることがあるようになりました。
一人くらいなら気にもしないのですが、2人になると
気になります。これはそうなのかも・・・・。
伊勢丹でお嫁に行けなかった横板の180センチほどある合板の作品、
あれなんぞは私はとてもえ~味であのボロ板と截金とのアンバランスが絶妙!
と今だ大絶賛ですが、幾人にも勿体ないと言われることがあります。
(だからなのか今だお嫁に行けず。)

う~ん、悩んでまいりました。段々と描く題材がないと行った
絵描きに紙がないような状況に陥ってしまいました。

そんな時全てを備えたお店に出会いました。
道が混んでおり待ち合わせ時間に20分も遅れて後輩と恩師が待つ場所に到着。
恩師は「まいったな、気難しそうな方やからなぁ」と言っておられました。
京都によ~ある、何屋さんかよう分からんような、所謂入りにくそうなお店です。
私は古道具屋さんや、材木屋さんはこの截金人生もう数えきれないほど行ってきましたが、
そこは違いました。
「遅れてすいません!!!!!」と入った瞬間に、
私の全てがそこにありました。入って10分ほどで、3枚
一瞬で購入を決めました。えーお板です。えー作品に致しますよ。
これや!とすぐに思った直感と、そのお店のセンスと、
置いてあるおぼんやお箱もオーナーのご指示によりそちらの職人が創られているようで、
私はおぼんや、そのお箱を持ちながら大興奮して大学の恩師に「先生これみてー!めっちゃ綺麗このお箱!!!
先生こ、この板は凄く素敵!!どう思いますか?」。えーんちゃうか、と言われたならば次はお店のご主人に、
「これはおいくら?いやーこれは何の木?これは古板なので割れないですよね?
あれは?そこのは?ここの見ていいですか?その道具はどこで手に入りますか?」
挙句の果てには関西のおばはん根性か、
「これは頂きますのでこちらはオマケで付けて下さい。」といった具合です。
格のあるお店です。
お値段をやたら聞いたり、
オマケなんぞ多分言うようなところではありません。
しかし興奮して出てしまった素が・・・。もう遅し。
ズケズケ言うのが面白かったようで、私とご主人さまのやり取りに
恩師と、一緒にいてた後輩は「おもろいなー」と後ろで笑っている始末。
後輩も太い根っこの材を頂いて帰りました。
恩師は「くれはるて凄いな、気に入ってもらえたんちゃうか。」

嬉しい。

セレクトされている板々の抜群のセンス。お箱も創ってもらいたいですがそりゃまーえーお値段。
やはり行きつく先はみな同じで、名を成してる方々はこちらでお箱創られているようでした。
あちらのお箱で必ず小箱創ります。いつの日か。
絶対えー作品にしたい。なんもせん方が綺麗な箱やった、なんて言われないように。

そこにセレクトされている廃材のセンスがもう私は世界中を探し廻る必要もなく、そこにありました。
私は作品にするものをお金を出してお求めすることが好きではありません。(大作用の大きなお板は別)
ケチだからではありませんよ。たまたま通りかかったところで良い材に出会いお求めすることはあります。
しかし例えば京都である古市とかで探し廻り、値段を聞き廻り、またそういったものは結構なお値段を
言われますので(多分、したことがありませんが予想です。)そのようにしてお人柄も信用ならん
方々とのそういった値段交渉をして作品の材を集めることに”風情”がないように思います。
気持ちがない、心がないと言いますか。上手く言えませんが作品にして皆様に観て頂くうえで
美しいものでないように思います。
しかしこちらのお店ではお金を出して材を得ることに全く抵抗を感じません。
何故でしょうか?今はまだ分かりませんがいつの日か分かる時が来るでしょう。

また今後木に対して学ぶ全てもありました。私も木の見る目も20年もしていると
越えてきて、そこいらに落ちている廃材では簡単には納得できなくなり、またお寺の
解体の木などは簡単には手に入りません。どうするべきか、と思っておりましたが、
そういったえーとこからのでなくとも、そうであっても全てここにあるではないか!
しかもです、その木の加工手入れの仕方が、全て天然で、例えば椋の葉っぱでこする、
トクサを平たく割いてかまぼこ板のようなものに貼り付けて磨くなど、
電動サンダーややすりなど一切使わない技法でやるのだそうです。
もうわたしゃ大興奮でしたがな。これからは涼しい顔して、

「全て天然もので磨いておりますのよ。」おほほほほ

とか言うてるかもしれません。(大いにあり得ます。くくく)
もうあのご主人様が生きてる限りここに通うと決めました。
路上、山、川、アメリカ、沖縄、あ、韓国も、
色々行って、
行きついた到着点はなんと京都の材木屋でした。
やはり京都ですわ。私はどうも”京都”なようです。そういう話をすればさらに
長くなるので終わりにしますが。

京都、ここほんまヤバイぞ!

お言葉や、内容もお下品で申し訳ありません。読んで頂いてる方々がどんどん
もう知り合って長くなるような方々のようですので猫かぶりずらくなって参りました。
へへへ。

いつもおおきにえ。

PS 写真はお嫁にいけないその子。綺麗やんかー!